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2003/12/11

おばあちゃん

 

私の祖母は83歳です。まだまだ元気に畑の草取りに精を出しています。真夏の炎天下で牛の牧草作りや、牛のキビ刈りは一緒に作業していても、単純な作業をずーっと休みなく続けます。

私などは最初は早く、だんだん体力を使い果たし、最後はヘロヘロになりますが、祖母は最初から最後までずーっと同じように作業し続けます。年寄りは炎天下に強い!流石に戦争時代を乗り切ってきた人だなーと感心します。

今日はそんな祖母の若い頃のお話を書いておこうと思います。

祖母は13歳で韓国のプサンで商売をしている日本人の家に奉公に出ました。奉公に出ることが決まったときに、新しい着物をあつらえる為に、家の裏山にあったみかん山でみかんをもいで、スカリ(竹で編んだ籠「サンドイリ」ともいう)2杯を馬に背負わせて、小茂田浜神社のお祭りに(祖母の)母と一緒に売りに出掛けたそうです。当時の女学生さんがよく買ってくれたそうです。反物2反とアサブラ1足(ぞうり)を買って帰ったそうです。

プサンからは戦争が始まる直前の19歳の時に引き上げ、1年間は和裁や手伝い等をしながら、20歳の時にイトコの祖父と結婚しました。祖母が嫁いできた数ヶ月後には祖父が戦争に行ってしまったので、男のいない家を盛りたてる事になりました。

ユキさんという、祖父や祖母の本当のおばあちゃんが男勝りのような、気丈で元気な人で、戦争中は、炊き物(薪)や野菜を馬に乗せて、城下へ売りに出掛けたり、20歳の祖母を連れて、着物を腰の所でまとめて、海岸沿いの自分の山へ雑木林を切り出し、パルプとして売ったりしたそうです。

裏山のずっと奥の方に、滝があるのだそうですが、孝行芋(サツマイモ)、鍋、壷などを背中に背負い、滝の下でヤマネコ焼酎作りを2人でしたのだそうです。いつ税務署がくるかもしれないから、家では作られないということで、山の中でこっそり焼酎作り。その焼酎は、時たまの来客や、他の物との交換に使ったという事でした。(昔は皆こうやってこっそりドブロク作りをしていたのでしょうね。もう時効でしょうから、書いてもいいかな)

祖父が戦争から帰ったときに、祖母は27歳になっていたそうです。祖父が元気で帰ってきたので安心したのか、祖母の母(ヤス)も祖母のユキさんもその年の内に亡くなってしまったのだそうです。

祖父の母は家の中の事をしていた事が多かったという事で、外へ出掛けての仕事はユキさんと祖母の2人一緒の事が多かったということでした。この、祖父の母は私の曾祖母で「カンゴばぁ」といつも呼んでいました。私が6歳の頃まで一緒でした。記憶にあるのは、膝が曲がらないので、いつも延ばした膝の上にだっこしてもらった事と、庭の草ぬきをしていた事です。「カンゴ、ごはんよ」と呼ぶと、「えい」と返事していました。

今日の夕方のテレビで焼酎作りの撮影の映像を観て、祖母が思い出したように、昔焼酎をこっそり造った話から出てきた思い出話でした。