武田山茶先生の想い出(五)
甲藤 卓雄
「さあ、文鳥先生のご高説を拝聴致しましょうか」
山茶先生が居住まいを正された。たらふくご馳走になった私は、良いの勢いを駆って理屈をぶっつけようとしていた。先生は笑いながらそう言ってこちらの機先を交わされたのであった。たまには弟子の俳論をちゃんと聞いて下さってもも良いではないか。そんな不満もあったが今にして思えば、目上の師に向かって酔って議論を吹っ掛けるのは失礼であった。文章にでもすればよろこんで読んで下さったことと思う。親しき仲にも礼儀ありで、屁理屈を並べるより実作で示せと諭されたのだろう。
文鳥の説明が前後してしまったが、文鳥は先生が私に付けたニックネームある。
ある日先生からはがきが来た。先生が電話嫌いのため、歩いて五分の距離に住みながら私達はよく文通した。使い古した愛用の万年筆の小さな字が美しかった。
「漱石の文鳥は千代千代と鳴く。私の文鳥は何と鳴く」の書き出しで、あたなもそろそろ俳号を持って良い時期です。そこでいろいろ考えたのだが、文鳥というのはどうだろう。文鳥は声が悪いが姿は美しく可愛いい。君には似合いの俳号だと思う。一考下さい。
私はたしかに声が悪い。私の声帯はつぶれているのだ。赤子の時の泣き過ぎで、癇の強い児だったと聞かされた。変声期を過ぎたとき医師にもそう宣告され声楽家への道は断念した。しかし、喉はつぶれても泣いたお陰で肺は鍛えられ、フルート奏者を職業とする私にはよい訓練であった。
話を戻すが、先生はその文鳥を強要はしなかったし私も自分の俳号を欲しいとも思わなかった。また、はがきの文面からしても冗談半分とも取れたので返事も差し上げずそのままの数日が過ぎた。文鳥のことも頭から遠のいていた。そんなある日、
「ところで卓雄さん、文鳥は気に入らんかね」
雑談中にいきなり切り出されたのでとっさの返事も出ず、口の中でもごもご言っていると、
「アハハハ、文鳥が気に入らんようじゃね。あたしゃまことにええ俳号と思うが本人が乗り気でないことには始まらん。なに、あたしに遠慮は要らんぞね。ただし、あたしゃ気に入ったから今日から文鳥と呼ばせてもらうが、それなら良かろう。」
この話が先生の口から伝わったに違いない。知人の俳人で高知市観光課長の刈屋次郎丸氏に呼び止められ、庁舎の廊下での立話に、
「おまんはおとなしい青年じゃと思うちょったがなかなかいごっそうじゃのう。山茶さんが名付けの俳号を”気に入りません”と蹴ったというじゃないか」とさも愉快でたまらなさそうに破顔一笑された。次郎丸氏も名だたるいごっそうと聞いていたが山茶先生も負けず劣らずで、とうとう私を文鳥と呼び通してしまった。
二人きりの時はいい。駅や演奏会のロビーなど人中で「ブンチョウ」と呼ばれるのには閉口した。気持ちが高ぶっているときには一際張り上げて「文鳥文鳥」と呼び掛ける。恥ずかしくてたまらぬので、こんな人前で呼ぶのは止めて下さいと断わると、何の恥しがることがあるものかと一向に聞き入れてくれない。先生の孫達までも私が文鳥と名乗るようになったと思ってか文鳥さんと呼ぶ始末。
もうこうなったからには意地でも文鳥とは名乗るまいと誓った。第一、甲藤文鳥では姓と号の尻のウ音が間延びして締りが悪い。また、わが名卓雄は詩人西条八十によって名付けられたと母から聞いている。その由来は省くが女と生まれていたら菊子となっていた。
それにしても呼び名とは不思議なもので、文鳥も先生から呼び捨てにされている内に、卓雄さんなどと呼ばれるよりはるかに親しみが心に響くようになって来た。文鳥にまつわる想い出につけても私は生涯卓雄で押し通す。