歳月茫々録「結婚」
南愚庵
昭和二十八年の四月に愚生らは結婚式を挙げた。それはしかし、およそ式などとは言えない簡素極まるものであった。
仲人になってくれた叔父の家での集いには、母と愚生の方の従兄弟が二、三人集まってくれた。新婦の方は両親が出席。普段着にちょっと毛の生えたような服装の二人。記念写真もない。
それでも、愚生は嬉しかった。家も財産も何もない野良猫のような男と結婚してくれる女性がこの世にあったということだけで、愚生は感動し、有難いと思った。
将来のことなど何も考えず、恋愛と結婚の根本的な、そして残酷な矛盾などにも気づかないまま、ただ、好きだから一緒になろうという思いでの出発であった。
海図も羅針盤もない、行き当たりばったりの航海。自然、船長は女性の任務とならざるを得ない。男は仕事と趣味に夢中。睡眠時間三時間の日々が続き、入退院の繰り返し。ふと気が付くと船長設計の”わが家”が建っていたりした。
”自由”を旗印に生きるのなら結婚などしてはならないのに・・・。
爾来五十年。愚生らは今年、世に言う”金婚の年”を迎えた。何だか照れくさい。それにしてもよくもまあ続いたものである。小さな奇跡である。幾度かの破局を乗り切れたのは天の計らいとしか思えない。難破船は辛うじて今も漂流を続けている。強いて言えば、お互いが、諦めと忍耐することを覚えたことが支えとなったことぐらいであろう。何の誇りとすることもない。
近年、よく特攻隊の若者のことを思う。無駄死にと知りながらも、”日本がこの戦いに敗れて、悪夢より目覚め、平和国家として再生してくれることを信じ、われわれはそのために命を捧げるのだ”と自身に言い聞かせて散って行った多くの青春を。彼らは祖国と結婚したのだ。
十五年前の息子らの結婚式は神前。出席者、こちらは両親と兄弟。東京生まれの新婦も同様。式の後、ホテルで内輪の食事。それだけである。いや、愚生、よさこい節を歌った。歌いながら泣き笑いしていた。有難い世である。